神社沿革
養老年中(717-723)に創建
上苗木住人荒田栄久の勧請と伝う
そのころの名称は飛天王社といわれたと言い伝えにある
(現在の福岡植苗木地区)
天文10年遠山左近公御再建
苗木城主遠山家の尊崇神社となる
慶長19年遠山久兵衛友政公御再建
以来代々苗木城主遠山家より再建修復(棟札記録)
徳川時代祇園牛頭天王社と称え奉り、別当老明山雲台寺が維持
明治8年神仏分離により榊山神社と改称
(一時期、八重垣神社とも云われた)
国の宗社として郷社に加列せられる
明治13年本殿改築
現在の境内の姿になったと言われる
大正2年大鳥居建設
昭和11年拝殿外建物再建
昭和17年社宝三条住吉則作太刀は国の重要文化財に指定される
元苗木藩主遠山友禄(ともよし)氏が藩祖が植苗木の地に広恵寺城を構えていたゆかりによって、榊山神社に奉納されたもの
昭和45年に刀身保全の為、東京国立博物館に預託
昭和21年大東亜戦争後神社本庁に所属
昭和35年氏子の申請により岐阜県神社庁長参向金幣社に指定
昭和62年本殿葺き替え工事
平成元年例祭日は7月第4日曜日に改めて斎行
それまでは7月20日であった
平成5年拝殿銅版葺き替え工事
平成17年氏子会館建設
旧福岡尋常小学校の古き建物を取り壊し、第2拝礼場所、並びに祖霊を慰める場所を建設
平成19年社宝三条住吉則作太刀は東京国立博物館から中津川市遠山史料館に預託変更
平成26年拝殿下石垣修理と神具倉庫建設
平成28年手水舎柱、土台改修
明治初頭の建築物であるが基礎並びに柱が腐食して来た為、耐震を兼ねて改修
平成29年拝殿脇排水工事並びに敷地拡張
神殿上部よりの水はけが悪く境内地に水が溢れる為、排水工事を実施、その際、水の流れを良くする様に拡張工事をする
令和2年6月芭蕉天神社前鳥居修繕工事
境内中段に位置する鳥居に傾きが視られた為、解体修繕して、境内下に磨きをかけ移築
令和3年9月社務所改築工事開始
9月22日解体清め祓い・10月14日起工式安全祈願
令和3年11月神札・お守り授与所完成
北奉納掲詣所を改装改築して授与所を建設
令和4年5月社務所完成
5月8日社務所竣工祭 5月15日社務所内覧会実施
内覧会の際、社宝太刀「吉則」および神社宝物の展示を行う